
ドゥオモから徒歩8分
ウフィツィ美術館を出るとすぐ目の前がシニョーリア広場です。
シニョーリア広場に建つヴェッキオ宮殿の塔は、街歩きの目印にもなります。
シニョーリア広場はイタリアで最も美しい広場の一つです。
13世紀から14世紀にかけて建設・拡張されました。北側にあるヴェッキオ宮殿の非対象形の建物郡が、
広場を支配しているかのように建っています。
フィレンツェで重要な決定、あるいは事件はみな、
シニョーリア広場を介在して起こっています。ドゥオモ広場がフィレンツェの宗教的中心であるのなら、
シニョーリア広場は共和国時代からの政治の中心地であり、広場は広大で明るく、ヴェッキォ宮殿とロッジア(開廊)に囲まれた、
取り巻く建物との調和がとれている広場です。
フィレンツェ共和国時代には政庁が置かれていたところで、
1497年、サン・マルコ修道院の院長のサヴォナローニャの焚書や、火刑も行われました。シニョーリア広場中央にはジャンボローニャ作のトスカーナ大公となった
「コジモ1世の騎馬像」(ブロンズ・1594年作)をはじめ、多数の像が立ち並んでいます。
サボナローラが火あぶりの刑にされたのは、
「ネプチューンの噴水」近くのブロンズの丸い敷石「サヴォナ・ローラの銘文」の辺りといわれています。
現在は処刑の日の5月23日は町の祝日となっています。
広場内にはヴェッキオ宮殿と14世紀に公共集会所として建てられた、
ロッジア・ディ・ランツィ(彫刻廊)が隣接しています。ロッジア・ディ・ランツィはベンチ・ダ・チオーネとシモーネ・タレンティによって設計された
後期ゴシック様式のロッジアで、1376年から1382年にかけて建設されました。
窓間柱の上にあるレリーフは善行のアレゴリーを描いており、
1384年から1389年にかけて、アニョーロ・ガッディが手がけました。内部にはチェッリーニ作の有名なブロンズの「ペルセウス像」(1553年)があり、
この像の胸に”1545~1554″と記された、たすきがかけられています。
製作者であるチェッリーニは、これで作品の制作年号をしるしました。
ペルセウスがかぶっている翼の付いたヘルメットの複雑な装飾の下に、
自画像が隠されています。
ジャムボローニャ作のヘラクレスとケンタウルス像(1599年)、
そして修復されたエレニズムの彫像、パトロクルスの体をもつ「アジャクス像」、ピォ・フェディ作の「ポリクセナ像」(1866年)など、彫像郡が並んでいます。
後方の壁の前には古代ローマ時代の婦人像6体が並んでいます。
イタリアの町並みは中世そのままで、初めて行ったときは異世界でした。
いたるところに彫刻がゴロゴロとあり、バスの中から「写真撮って~!!!」とかなり興奮したのを覚えています。
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