イタリア建築の歴史
大円蓋(ドーム)と内部のモザイク画とを特色とする ビザンツ式建築 。代表的なものに、コンスタンティノープルのセント=ソフィア聖堂、
ラヴェンナのサン=ヴィターレ聖堂、ヴェネツィアのサン=マルコ聖堂などがあります。
教会堂の平面プラン・・・正十字形(ギリシア十字形)
11~12世紀になると、石造の半円筒形の天井を支えるために柱や壁を厚くし、
窓は小さく、重圧感があるロマネスク様式へと変わりました。内部にはフレスコ画などの装飾が多く、
修道院聖堂・ ピサの大聖堂などがその代表例です。
13~15世紀。尖塔と高い天井をもち、細長く大きい窓を
ステンド=グラスで飾ったゴシック様式へとかわりました。ロマネスク式が重厚で水平感のあるのに対し、
ゴシック様式は軽快で明るく垂直感が強い印象をもちます。
教会堂の平面プランはロマネスク様式と同様、
長十字形(ラテン十字形)が基本です。
ゴシック様式に変わりギリシア・ローマの様式をとりいれた
ルネサンス様式。代表的なものに15世紀にブルネレスキが建造した
フィレンツェのサンタ=マリア大聖堂のドームや
ローマのサン=ピエトロ大聖堂などがあります。
初期ルネサンスの建築:
1401年、フィレンツェでサン・ジョヴァンニ洗礼堂のブロンズの門扉の制作のためのコンクールが行われました。コンクールにはブルネレスキとギベルティが最終選考に残り、ギベルティが勝利しました。
それ以前のこと、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の建設の着工は1296年。
ヨーロッパの中でも豊かな都市に発展したフィレンツェにふさわしい大聖堂を建てようとしたのが最初の目的でした。そして横に建つ鐘楼は1334年にジョットにより設計されました。
大聖堂は15世紀のはじめ、ドームと正面以外は完成されていましたが、
大聖堂の大きさからドームの完成は不可能ではないかともいわれていました。そこで、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の勝負で負けたブルネレスキは
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の円蓋設計の依頼を受け、不可能ではないかとされていた円蓋の完成を二重殻構造という設計で完成させました。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂はルネサンスの象徴となったのです。
ブルネレスキはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の他にも、
フィレンツェでは、サン・ロレンツォ聖堂、サント・スピリト聖堂も手掛けています。ブルネレスキの建築理念はアルベルティに継承されます。
アルベルティは「絵画論」「彫刻論」などを書いていますが、建築においてもみずから設計に携わるなど、ルネサンス建築において欠かせない人物です。
フィレンツェではサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の改造に携わっています。
絵画においても同じことが言えますが、
15世紀イタリアの建築や彫刻において、狭義にいうと、古代ローマの様式や人体比例理論が復活したと言えるでしょう。そして広義には、中世の時代、神が中心であった動物に等しい人間の存在が、
世界の中心ともなった「人間性」の復活の意味が大きくあります。
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