1508-12年 フレスコ 40×13.3m バチカン
システィーナ礼拝堂は1470年代に建設されました。
教皇シクストゥス4世がソロモン神殿を真似して建造されました。システィーナ礼拝堂はバチカン美術館のハイライトといっていいでしょう。
最も権威のある礼拝堂です。
天井画はミケランジェロが33歳の時に描かれたもので、
祭壇方向から入口に向かって物語は展開されています。
ミケランジェロは彫刻家として有名ですが、デザイナー、建築家としても活躍しました。
デザインはバチカン衛兵の制服を手がけ、建築家としてはサン・ピエトロ寺院の建築主任を担当しました。絵画ものこしていますが、描かれた人物は彫刻家としての傾向からか筋肉が強調された人体重視のものでした。
ミケランジェロがボローニャでユリウス2世のブロンズ像を完成させた後、
ローマに行くとユリウス2世の依頼によりバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の天井画装飾を依頼されました。ユリウス2世はミケランジェロが彫刻家としてだけでなく画家としての才能もあると見込んでいたのです。
しかしミケランジェロは自分は彫刻家であり、画家ではないためその依頼は受けられないとことわり、
ラファエロに天井画の装飾を推薦していました。
システィーナ礼拝堂の天井は始めは星空の模様が描かれていました。
当時、バチカン宮殿の造営のため、システィーナ礼拝堂内部にまで振動が伝わり、亀裂が生じるという事態が発生しており補修が必要でした。
ユリウス2世は補修工事を行うのであれば天井画もこの際豪華なものにしたいと考え、急きょミケランジェロに仕事を依頼したのです。
結局ミケランジェロが天井画の作成にとりかかりますが、
数人の助手がいました。しかし皆、ミケランジェロの満足する画力を持ち合わせておらず、ミケランジェロは一人で天井画を作成することに決めたのです。
ミケランジェロは天井画を一人で完成させるということに弱音をはいていました。
普通に絵画を描くのとは異なり天井に描くということは、一日中立ちっぱなし・上を向いたままの姿勢でいなければならないので、完成させるまでの4年間、体調に不都合なことはおこらなかったのかという疑問まであげられます。
では天井にどうやって区画を区切り描いたのでしょうか?
描きかたは修復時にわかりました。ミケランジェロは下から見たときに目立たないところに支柱をささえる、縦と横40cmほどの穴を等間隔に掘っていたのです。
システィーナ礼拝堂の天井画の装飾はキリストの12使途を描くようユリウス2世はミケランジェロに命じましたが、
ミケランジェロはそれだけではさみしすぎると、反論。天井すべて豪華な絵画で装飾したいと提案しました。そしてミケランジェロは天井画を描く以前には全く描いたことのないフレスコ画で天井画を描きました。
ミケランジェロにとって新しい挑戦のひとつでもありました。
それでも天井画は過去の作品を振り返っても最高の出来の傑作に仕上がりました。
人物はとても立体的で画面から浮き出るような表現で描かれています。
見事な短縮法の手法は平面に奥行きを与えました。描きはじめてから1年半後、依頼主のユリウス2世と関係者に見せたところ、
その完成度の高さに、だれもが驚きました。
近くで作業をしていたラファエロはこの時以来、ミケランジェロの手法を取り入れ、自分のものにしました。
ミケランジェロが天井画を描く前に、すでに側壁には聖書の主題と法王の肖像が描かれていました。
ペルジーノやボッティチェリらによる作品です。ミケランジェロは人体をねじった表現で描き、そこには苦しみと怒りなど感情の激しさを表しました。
筋肉は光と影の絶妙なバランスで描かれています。1000㎡の高さにある天井画は9つの場面から構成されており、「創世記」の物語が描かれています。
天地創造・人間の堕落・大洪水・人類の再生といった場面が描かれました。それは見る者を圧倒させる迫力です。
天井画の両脇の三角形の部分には5人の巫女と7人の預言者が交互に描かれています。
四隅の大きな三角形にはイスラエル救済の奇蹟の物語が描かれています。創造的な観点から見ると、建築的枠組みと彫塑的立体性を合わせた、
ミケランジェロ的な斬新な絵画表現で展開されています。
ミケランジェロは旧約聖書の預言をもとに、
システィーナ礼拝堂の側壁にキリストの家系の人々を描いています。それは新約聖書のマタイ伝に記されている人々であり、
人物の表現方法はミケランジェロの個性がとてもよく見てとれます。
ミケランジェロは人々を温かな愛情あふれる雰囲気で描いているのです。
描かれた人物は総勢約300人あまり。
ミケランジェロは4年で天井画を完成させますが、
その29年後、システィーナ礼拝堂の正面壁面に<最後の審判>を完成させます。システィーナ礼拝堂の壁画は1981年から94年にかけて、修復作業が行われました。
それにより、当時の鮮やかな色彩がよみがえったのです。ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の装飾を完成させるため、ローマに住むことになり、
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