ボッティチェリ 春(プリマベーラ) (ウフィツィ美術館)絵画解説
ボッティチェリ(1454年~1510年)
本名:アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリぺーピ
<春(プリマベーラ)>
1478年ごろテンペラ 板 203×314cm
ウフィツィ美術館所蔵
ウフィツィ美術館の数ある名作の中でも最も人気があり、中心的存在にあるのが、、
ボッティチェリの第10~14室にある初期から晩年にいたるまでの世界最大規模ともいえるコレクションです。<春(プリマベーラ)>は、言うまでもなく、ボッティチェリの代表作。
この作品のためにウフィツィ美術館を訪れる人も多いようです。プラトン哲学とキリスト教を融合させた、新プラトン主義から生まれた絵画であり、
等身大の人物を描いた、古代以来はじめての大型サイズの神話画です。
ボッティチェリはフィレンツェのオニサンティ通りに生まれました。
父親は皮なめし職人で、ボッティチェリは4人兄弟の末っ子です。本名はアレッサンドロという名なのですが、生まれた当時からサンドロ・ボッティチェリ、
またはボッティチェリと呼ばれていました。なぜボッティチェリと呼ばれたのか?という名前の由来は、二つの説があります。
一つ目は、金細工師だった兄アントニオの工房で見習いをしていたため、工房で銀細工師を呼ぶときの、ボッティチェロという言葉がなまって、ボッティチェロとなったという説。
二つ目は長兄のジョヴァンニが大酒飲みで、樽のように太っていたため、
小さな樽を意味するボッティチェロのあだ名がつき、
長兄の弟たちもボッティチェロと呼ばれるようになったという説です。
画家・彫刻家のジョルジョ・ヴァザーリ(1511年~1574年)が著した「芸術家列伝」(1550年)によると、
息子、ボッティチェリの将来を心配した父親は、ボッティチェリを金細工師の工房に奉公に出しました。
このころ金細工師と画家は密接に仕事をしていたので、
おそらくボッティチェリは金細工よりも絵に夢中になり、
そして画家に転向したのではないかと知られています。
その後、ボッティチェリは15歳でフィリッポリッピに師事します。
フィレンツェという名は、古代ローマ人が「花の女神フローラの町」と呼んだことから生まれたもので、
巨大なドームからなる大聖堂・町のシンボルも、花の聖母大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)と名づけられています。
フィレンツェが花とゆかりのある町であることから、ボッティチェリはそこで生まれ育ったためか、
絵画にはバラやユリをはじめ、たくさんの花が描かれています。
線による繊細な感情表現がみれるのがボッティチェリの描く絵画の特徴です。
<春(プリマベーラ)>には、古代の神々が登場します。
中央のヴィーナスが愛の女神。知性を感じさせます。右の三人は西風の神ゼフィロスと口から花をこぼれさせた美の女神・妖精のクロリス、花の女神フローラ。
花の女神フローラ(プリマヴェーラ)はヴィーナスの花であるバラを撒きます。
キューピッドが恋の炎のついた矢でねらいを定めている左の三人が、愛と貞節、美をあらわす三美神。
左端で帽子をかぶっているのが神々の使者メルクリウスです。
<春(プリマベーラ)>の主題はともかく、
大切なのはそれまで異教的存在としてしりぞけられていた古代の神々が積極的な意味をもって再登場してきたことと言えます。
新プラトン主義と結びつき、より優美に、より神秘的に、見るものを優雅な気持ちにさせるのです。
<ヴィーナスの誕生>と共に、<春(プリマベーラ)>の二つの作品は、長い間秘蔵されており、
メディチ家の別荘カステッロからウフィツィ美術館に移された1815年以降に研究が始められました。そして、1981年に行われた修復により、草原には40種類を超える500本の植物が描かれていることがわかりました。
ボッティチェリはルネサンスの画家のなかで画面に写実的な植物を非常にリアルに描いた第一人者といっていいでしょう。
ボッティチェリの植物を描く際の表現の正確さには驚くべきものがあり、とても美しく、
神話という想像の世界となんの違和感もなく溶け合っているさまは、とてもすばらしいものがあります。
ヴィーナスの象徴であるバラは、かなり早い時期の八重咲きの品種のようです。
メディチ家の象徴であるオレンジは結婚を意味し、ロレンツォの名を暗示する月桂樹が大小二本あることから、
<春(プリマベーラ)>はロレンツォ豪華王が又従弟のロレンツィーノの結婚祝いに送ったものとも推測されています。ロレンツォの又従弟にあたるロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ(通称ロレンツィーノ)
と、ピオンビーノの領主の娘セミラミデ・アッピアーニとの結婚の記念に描かれた可能性が高いといわれています。
「結婚」「愛の神秘」「愛の勝利」「愛の炎」など、数百本の植物の花言葉を暗示させる、
結婚を祝ったプレゼントとして描かれたのでしょうか?
ウフィツィ美術館の中庭に並ぶ柱には、ルネサンス期のフィレンツェで活躍した芸術家の肖像が収められています。
しかしボッティチェリの肖像はありません。なぜなら、ボッティチェリは当時はあまり評価されないままこの世を孤独に去り、19世紀末に再評価されたからです。
生まれのオニサンティ通りにはオニサンティ聖堂があり、ボッティチェリは死後ここに葬られています。
イタリア旅行なら⇒♪日本旅行のイタリア特集♪
ウフィツィ美術館鑑賞オプショナルツアーの予約なら⇒゜:*★イタリアのオプショナルツアー予約Alan1.net★*:°
src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js">
src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js">
Tags: 春プリマヴェーラフィレンツェ, 春プリマヴェーラボッティチェリ, 春プリマヴェーラ美術館
Related Articles
No user responded in this post
Leave A Reply