イタリア歴史・ルネサンス美術の特徴
●絵画●建築
中世ヨーロッパ文化の基調はキリスト教にありました。
中世の美術は教会・修道院建築と、それらに付属する絵画・彫刻を中心に発展しました。10~11世紀、修道院の発展に応じてロマネスク様式が流行し、12世紀に最盛期を迎えました。
ヨーロッパ中世社会、人々のものの考え方、感じ方に大きな変化がうまれました。人間生活にかかわるあらゆる分野の革新がめざされ、古代の古典文化が模範と考えられました。
それは古典主義の始まりであり、古代・ギリシャ・ローマの芸術を最高のものとしたのです。
古代の芸術についての研究が始まり、その人間性解放の文化革新運動はルネサンスとよばれ、
ルネサンスは14世紀から16世紀にかけてイタリアをはじめ、ヨーロッパ各地に展開しました。
ルネサンスとはイタリア語のリナシメントの翻訳で「再生」「復活」「復興」を意味するフランス語です。
14世紀、イタリアでは文学の分野で古代の伝統の再生(ルネサンス)がおこりました。ダンテ、ペトラルカ、ボッカチオらが古代ローマ作家たちの作品を手本にしつつ自らの作品に生かしました。
美術の分野ではローマの石棺レリーフを参考に古代の造形が彫刻に反映されました。
絵画の分野ではジョットが中世まで表現されていた平坦な人間像に重感を与えました。
13世紀から14世紀にかけてフィレンツェで始まったルネサンスは、
自然や、人間をよく観察した美術であり、人間がありのままに表現されるようになったのです。しかし世紀半ば黒死病(ペスト)のまんえんによりルネサンスの展開は一時中断されてしまいました。
ジョットをはじめとする画家たちは、自然主義的な考え方を基本とし、古代の伝統が積極的に取り入れられ、
遠近法をはじめ、数学と芸術がもっとも近づいた時代といっていいでしょう。人体の筋肉や骨格を考慮した人体表現や幾何学的遠近法(透視画)を使用した画期的革新が行われました。
14世紀初期ルネサンス絵画は、平面の二次元的表現を改め、立体的な三次元空間を表現しようとしました。16世紀中ごろ、フィレンツェの画家ヴァザーリが「美術家列伝」という書物を残しています。
そこには芸術家の生涯が書かれています。ヴァザーリは古代では美術は最高の域に達していると記していますが、
中世にはいり、古代の美術が根こそぎ取り除かれ、芸術の暗黒時代が始まったと言っています。
しかし、やがて古代の芸術を見直そうという動きが始まり、ルネサンス美術に至ったと書き記しています。
フィレンツェ、当時小都市国家は1401年、洗礼堂のブロンズ扉のコンクールを行いました。
そのコンクールは「イサクの犠牲」という旧約聖書の主題をテーマにしたものです。ブルネレスキとギベルティが勝利を争いましたが、勝者はギベルティに決まりました。
(そしてブルネレスキは建築家へと転向しました。)
この時、初期ルネサンスが始まったといっていいでしょう。
ルネサンスの時代背景にかかせないのがパトロンの存在です。
パトロンとは富裕な市民や君主たちが芸術家を支援するもので、それは教会や都市、自身の邸宅の装飾活動を促しました。宗教画が主だった時代、中世以来の神学が見直されるに及んで神話画も描かれるようになりました。
それを促進したのがパトロンであり、なかでもフィレンツェのメディチ家は最も有名です。
15世紀末、メディチ家の当主ロレンツォが他界すると政治は混乱し、美術の分野にまで陰りがみえはじめました。
その一方、ローマでは世俗の教皇たちによる宮廷化が進み、バチカン宮の装飾のためにすぐれた芸術家を必要としていました。そして盛期ルネサンスの巨匠とよばれるレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロの三人のうち、
ラファエロとミケランジェロがローマへと向かったのです。
1490年頃から1520年頃まで、この間絵画の空間表現・人体表現への挑戦は頂点にまとめ上げられました。
遠近法による空間表現はよりリアルなものとなり、人体表現は解剖学を前提とし、それにより量感をもった描き方に変わりました。
その特徴をもつ絵画が描かれた時代はルネサンスの古典主義時代と呼ばれ、
その立役者は万能の天才と呼ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチでした。
レオナルド・ダ・ヴィンチにより絵画は最高潮に達したのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロは西洋美術に欠かせない人物であり、
盛期ルネサンスの代表的人物です。
src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js">
src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js">
No user responded in this post
Leave A Reply